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イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第4回 スピーカの設計とオーディオメーカーの隆盛(前編)

マッキントッシュ MC275とは?

1969年、新米SPエンジニアの頃、最初にやった仕事はネットワークのF特やひずみの測定。インダクタにはフェライトコア入りの採用していたので、コアが飽和して、ひずむケースがあった。このときに使用したのがMC275でまだ、TRアンプで75Wも出せるアンプはなかった。1$=¥360時代で、超高価なパワーアンプを使うことになった。仲間のエンジニア達は平然としている。オーディオが好きな人ばかりがオーディオ会社に入っているわけではない、という現実が始めて分かった。聴かないともったいないので、聴いてみた。結果はハードで、感心出来ず、少しがっがり。この真空管アンプは特殊な回路で一種のSEPP回路のよう動作をする。(ラジオ技術の黒田氏の解析記事に詳しい。)

マッキンの真空管アンプならMC240(6L6GCpp)が柔らかさを兼ね備え、最高な出来と思う。このアンプがその後どうなったかわからず、ほどなくして、TRアンプでネットワークを測定するようになった。

はじめてのスピーカシステムの設計

その年の秋から3ウエイSP150というモデルの設計を担当。25cm3ウエイで、バスレフ、組子スタイル、ブックシェルフである。ユニットメーカーはJIS箱入り(150×90×60)で測定結果を添付してユニットを試作してくる。それを小さい(50L程度)箱に入れると、低域が出なくなり、相対的に中域が盛り上がって来る。

そこで、やむなくどこのメーカーもその帯域ではパワーが入らないようにクロスオーバーをウーファとスコーカー間で離す。スピーカーシステムのインピーダンス特性を測定すると、ほとんどのスピーカシステムは8ΩのSPなら16〜32Ω位まで上昇する。それでもNFBが充分かかったTRアンプで定電圧ドライブすれば、周波数特性はフラットに近くなる。

ところがここ10年くらいからの真空管アンプブームで、はなしが合わなくなってくる。ことに無帰還アンプになると、スピーカーインピーダンスが上昇すれば、音圧は上がり、低くなれば音圧は下がる。周波数特性がTRアンプと真空管アンプで明らかに違ってくるので、音質が違うのは当たり前のはなし。3年くらい前に、MJのサイドワインダー欄で指摘した方がおられたが、あまり関心を呼ばなかったようだ。わたしもあるオーディオ雑誌で書いたが、反響はなかった。

真空管とTRアンプのサウンド比較はインピーダンス変動が少ない、フルレンジスピーカでやれば本当の差異が出てくるだろう。

真空管アンプは私も大好きだが、このような現象を理解せず、NFBを悪者扱いにしては、発明者のH・S・ブラックさんが天国で嘆くというものである。(生前のブラックさんにサンスイでインタービューを企てたお話は後日、記す。ブラックさんは会ってくれた、82歳のころであった。)

やっと、無響室、B&Kの測定器が揃ったので、嬉しくて、いろいろ測定してはヒアリングの連続。当然、音源はレコードで、カートリッジはシュアーV15IIであった。当時はほとんどのメーカーがこれ。ヒアリングアンプはサンスイAU999であった。(銀河鉄道999は松本零士がこのアンプにヒントを得てネーミングしたと聞きくが、本当だろうか?)

音楽ソースはデビューしたばかりのカーペンターズでCLOSE TO YOUのアメリカ盤は何枚も聴きつぶした。これが音楽的に感動を呼び、オーディオ的快感にも浸れるというところが判断基準だ。試行錯誤の連続で、設計期限も迫ってきた。このあたりのサウンド検討はどのサウンド傾向をよしとするかは、そのブランドの定評もあるし、商品企画時の狙いもあるし、対抗商品も想定する。少なくとも、原音再現というようなことはサンスイにおいてはイメージに合わない。丁度、その頃はやった、オスカー・ピーターソントリオの”WE GETREQUEST”も何百回も聴いた。今聴いても、これは名演・名録音と思う。

それにしてもずうっと、レコードばかり聴いて、サボっていると、事務のおんなの子に言われたこともあった。音楽嫌いな人にはこの仕事は拷問に等しい。

そのうちにチーフエンジニアからは家に来い!言われ、一式持参して、そこのリスニングルームで検討。明け方近くまでやって、何とか良くなってきた。

”オーディオは不健康なもの、非日常的なもの!”と思った。いまでもそう思う。

スピーカーシステムの設計では具体的にどんなことをやるか、これは30年前でも、今でも、海外(イギリスのBBCモニターを作っていたメーカーしか知らないが、)でもそれほど変わらない。

SPユニットはコーン紙の材質が決まってしまえば、その重さ、製法時のプレス圧、表面処理などをパラメータとする。ダイヤトーンでは迷ったときはP610Aのコーン紙で試作してみると佐伯多門さんが言っていたが、原点に戻るということは大事だと思う。

ボイスコイルはインピーダンス変動が許される範囲で動かしてみる。JBL、LE15Aなどのボイスコイルインピーダンスは8Ωと言っても、最低インピーダンスは4Ω近く下がって、中低域(120〜300Hz)がリッチに出てくる。このあたりがJBLの秘密だ!と指摘したベテランエンジニア氏もいた。そのとおりだと思う。

また、ボイスコイル巻き幅はショートボイスにするかロングボイスにするかも大きな選択である。

ボビンを含めたボイスコイル全体の重さはアルミリングを入れて調整する場合がある。SP150のときはリングのウエイト5gとした。ダンパーは大きさ、形状、固めているフェノール樹脂の硬度なども替えてみる。

ミッドレンジはウーファとほぼ同じアプローチするが、バックキャビティ(ユニットを覆うお釜)の調整では大きく特性も音質も変わる。出来れば、リアに空気を少し逃がしてやると、スムーズで立ち上がりも良くなるはずである。ツイーターは松下が5HH17を勧めてきたので、採用することにしたが、センターネットの中心にΦ10mmくらいのウレタンフォームを貼り付けて、音の拡散(ディスパージョン)を図ることにした。

吸音材は曲者で、その吸音率を残響室で測定してみると、まず、低音にはほとんど効果がなく、2KHzあたりから、ようやく効いてくる。最近のシステムでは入れていないものが多くなってきている。入れることによって、張り方によって、それが振動質量の増加となり、効率が低下して、その分、低域にレンジが広がる場合もある。

いずれにしてもスピーカー設計はアンプのように回路図、部品表を作成したり、プリント基板を設計したり、品質・信頼性・安全規格とクリアしなければならない業務が沢山あり、その制約のうえで、音質検討するから、細かいことの積み重ねになりやすい。スピーカーは大げさに言えば、出てくるサウンドがすべててあるから、性格的には大胆な方のほうがうまくいきやすいと思う。検討作業を技(わざ)と捕らえれば、大技(おおわざ)を駆使出来るのがスピーカー設計のおもしろさである。

その頃、デノンDL103が発売され、すぐ個人的に購入した。MCでサウンド検討をやるなどとは、面倒でどのメーカーも使わなかった。しかし、オーディオマニアには大好評!放送局はいっせいに採用した。とにかく、SP150は発売にこぎつけた。創刊間もない”ステレオサウンド”での長岡鉄男氏の評価記事は”明るいサウンド、大きさの割りに安い、”とあった。売れ行きは目標をクリア出来た。故長岡氏はすぐにいろいろなオーディオ誌からひっぱりだこ、以来、ステサンに書くことはなかった。

米軍向けビジネスとスピーカ(こんなスピーカーで企業は大きくなった!)

この頃、アメリカはベトナム戦争に突入。最盛期には60万の兵力を投入。兵士の楽しみは米軍の売店(PXと言う)で、日本のオーディオ装置を買うしかなかったのであった。

彼等が好んだのは、でかい音が出て、派手なサウンドで、にぎやかであることが必須。具体例を挙げてみよう。軍の輸送規定に100インチ梱包リミット(縦、横、高の和が100インチ以内)があるから、規定一杯のキャビネットに40cmのウーファを付け(マグネットはΦ90くらいの小さいもの)、16cmのミッドレンジ2個、ホーンツイーターを2個、スーパーツイータ2個、といったようなバッフル一杯にユニットがついた代物であった。

給料日になると、兵士たちはドル札を握りしめて、ステレオ装置を買いに来て、レシーバ、プレーヤー、スピーカと一式買うのであった。キャビネットがブックシェルフで高能率だから、低音が出ない。彼等はトーンコントロール・ベースをいっぱいに揚げて、ボリウムMAXで踊って、聴くのであった。(1ドル=¥360円の時代であった。)

その手のスピーカはパイオニア、サンスイ、トリオなどが作っていて、月何千セットも良く売れた。

戦死兵士のお棺の脇にオーディオシステムが置かれ、一緒にアメリカの家族のもとに軍の飛行機で送られる様をいやになるほど見たと営業部門の担当者から聞いた。残酷である。営業部門の方々はベトナム基地まで出かけて販売したそうである。サイゴン陥落のときは命からがら、軍のヘリに乗せてもらって、脱出したそうである。あまり、語りたくないことだが、この特需がオーディオメーカーを大メーカーに押し上げた。現在でも、世界中の米軍基地内には売店があって、そこに行くと、食料品、衣料品、電気用品まで、安く売っている。ところが電気用品に限っては、米軍売店で買うより、アメリカ本国で買ったほうが安くなってしまっている。従って、このマーケットではオーディオメーカーは今や、商売にはならない。

そして、ベトナム戦争時にはパイオニア、サンスイ、トリオ、アカイ、TEACなどのオーディオ専業メーカーは大いに潤って、臨時ボーナスが出たほどと聞いている。

アメリカは朝鮮戦争からイラク戦争まで戦争をやめられない国になってしまった。

次回はアメリカ向けスピーカを作って、売れなかったはなし。今、なお、なぜ、日本製スピーカは海外では通用しないのか?そして、日本のスピーカー産業が全滅に近い。それはなぜ?このあたりを私なりに記す。


2006年4月16日掲載


この記事は、2005年10月15日に”WestRiver(ウエストリバーアンプ)”のサイトに投稿した記事をベースに書き直したものです。

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