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イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第48回 CDプレーヤの製品化とその影響

CDプレーヤ開発の遅れ、トラブル、そして撤退するアナログレコード関連産業

サンスイにおいても、他社に遅れてCDプレーヤの製品化をスタートした。開発の主体はレコードプレーヤ技術部であったので、わたしは周りから見ているに過ぎなかった。CDプレーヤの中枢技術は、契約すればフィリップスやSONYから提供された。しかし、マニュアルだけで製品化するのはかなりの難関であった。他社を見ても、苦労している様子が伝わってきていた。ともかく、1982年のオーディオフェアには、主要各社のCDプレーヤが試作品を含めて出揃った。もっともサンスイは、まだ開発中で出品は見送った。各社のCDプレーヤは垂直ローディングであったが、本家のSONY、マランツ(当時はフィリップスと契約関係にあった)は、水平ローディング方式であった。

ビジネスの競争は熾烈とは言え、SONYやフィリップスは、契約した各社には水平ローディングするという情報を伝えずに、出し抜いたカタチになった。

私には、狭いオーディオ産業で、このような、せこせこしたことでは、オーディオ界はこの先どうなるのだという寂しい感情があった。

サンスイでは、後発だったので、垂直ローディングから水平ローディングに設計を変更するという手間はかけずに済んだ。けれども他社に遅れをとり、1982年から1983年でのCDプレーヤの売上は、当然ゼロであった。

営業部門、とりわけ海外部門からの強い製品化圧力があった。技術陣はフルに頑張ったが、量産ということは、試作を何度も繰り返し、試作品を評価し、信頼性を高めないとマーケットで大きな品質問題を引き起こす。それでも、そのあたりの怖さを知らない営業部門(これは知らなくても責められない)からは、やんやの催促であった。仕方なく、まだ量産試作の段階で、量産に踏み切った。

当然、量産ラインでは不具合の連続であった。それでも、何とか動くCDプレーヤを製品としてマーケットに出したが、マーケットでは不良の続出であった。特に無理して海外に出したが使い物にならず、販売は中止、初回開発のサンスイCDプレーヤの多くは廃棄された。

唯一の救いは、うまく動いたCDプレーヤの音質の良好さであった。

同じような不良をおこしたCDプレーヤはAUREXでもあり、CDをトレースできず、ピックアップを交換しても故障するという有様であった。このAUREXのCDプレーヤは、私自身が買ってAUREXにいろいろ交渉したが、らちがあかなかったのだから本当である。中国の新幹線に見られるように、新しい技術は開発の道筋を踏まないと、決して、突貫開発では本物にならないのである。

以後、サンスイのCDプレーヤは他社に大きく遅れを取った。けれども、急がずに後続機を製品化したので、不良問題は無くなった。そして、1ビット、MASH方式では、逆に他社に先駆けて製品化して、他メーカーやデジタル技術に詳しい評論家さんからは評価された。

アナログレコード関係の撤退・廃業

CDは瞬く間に普及し、アナログレコード関係の会社は廃業したり縮小したりした。特に、カートリッジやトーンアーム関係はすばやかった。グレース,サテン,SUPEX,マイクロ,アントレー,FR,ヤマハ,SAEC,エンパイヤー,フィリップスなどが消えていった。この混乱期に一部のMCカートリッジは処分価格で売られていた。

DENON,オルトフォン,オーディオテクニカ,SHURE,ピッカリング,スタントン等は、生産はモデル数を削減して続けてくれた。アナログレコード生産工場も、各レコード会社で撤退や廃棄が続き、アナログレコードは販売も急速に無くなっていった。日本では、現在でもレコード生産を続けられるところは、東洋化成一社になってしまった。

また、この時期、評論家さんのところへ伺っても、アナログ・レコードプレーヤがほこりをかぶって使えない方も少なくなかった。

日本は、マスメディアを始めとして、ある方向に一遍に傾いてしまう国民性があるので、現在の世相を見ても、少しは反省すべきと思う。

それから20年以上過ぎて、“アナログ”誌(音元出版)が発刊されて、評判が良いとのことを聞くと、感慨にふけってしまう。 

その後のCDはどのような経緯を辿ったか!

CDになれば、デジタル信号を処理するだけなので、CDプレーヤによる音質差はなくなり、どこのCDプレーヤでも同じというような宣伝も一時なされた。けれども、ユーザーや評論家等から指摘されて、また、CD販売各社はそれぞれの独自性を出して販促したいために、D/A技術やハイカットフィルター等について、いろいろな新技術を取り入れ始めて、CDプレーヤ界は賑わった。

また、高域を20kHzから急峻にカットしてしまうのはどうかという指摘に対して、人間の聴覚は20kHz以上が聴こえないから全く問題ないと、当時のSONYは言い切った。一方、筑波大の大橋教授(元:芸能山城組長)は、20kHz以上の帯域でも人間聴覚は認識できるという論文を発表したり、実験を公開したりして、論陣を張った。

そのような状況にSONYでは、高域を100kHzまで広げて高品位CDを開発すべきと決断し、後のSACDの発売に進んでいった。一方、高域を96kHzまで広げ、ビット数も増やすDVDオーディオが提案され、ソフトが販売されたが、SACDに押されてソフト数は減ってきて、ここ数年はまったく途絶えている。

非常に素直なCD拡張技術であったが、販売競争では敗れてしまった。


2011年8月21日掲載


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