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イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第63回 ロジャース・インターナショナルに加わる

その前哨、イギリスに行く

我々仲間で設立した会社は創業10年以上となった。世の中はバブルがはじけかかっていた。

会社は何とか継続できそうであったが、私自身、いろいろなプロジェクトに直接携わる機会が減って、経営に関係すること、例えば、利益計画、業務開拓、人事のこと、をやるはめになってきた。私はそのような仕事は嫌いではなかったが、将来、管理的な仕事をしていると、いざ独立したとき、能力が落ちていて使い物にならなくなっているのではないかと言う危惧を抱き始めていた。

その頃、サンスイOBで私より後輩のOさん(当時、ボーズにおられた、故人となられた)から、連絡があった。ロジャースというイギリスブランドの会社が香港の会社に買われて、新規に業務を展開したいので、人材を探しているという。
そして、その新会社は日本にも日本支社を設立するという。
いろいろと新製品も開発したいという。私としては、ロジャースというイギリスのブランドは知っていたが、ロジャースに関する知識はその程度で、製品を使ったことも、持っていたこともなかった。その新会社にはサンスイOB(海外営業部門)の方もジョインするらしい。

ともかく、“ロジャースという会社を知らないから、入社しろと言っても決断できない”と、Oさんに伝えた。そうしているうちに、ロジャースに加わる気持ちでいたサンスイ海外部門にいたSさんから連絡があり、5月連休を利用して、ロジャースを訪問して、状況を見てこようということになった。旅費は、入社するならロジャースで負担すると言ってくれた。旅費と言っても格安航空券であったから、自己負担しても大した金額にはならなかった。
さっそく、成田からロンドンに向けて旅立った。

ロジャースを訪問する

ヨーロッパに行くのは初めて、当然、訪英は始めて。
ロンドン、ヒースロー空港に着いたら、主任エンジニアのアンディ・ウイットルが迎えに来ていてくれた。
彼は訪日経験もあり、来日時には、ステレオサウンド誌にはホワイトル氏と紹介されていた。彼は他スピーカーメーカーからロジャースに転職して1.5年という。まだ、当時は30歳代で若々しかった。

ロジャースは1947年、ジム・ロジャースが設立した会社で、真空管アンプを製造・製作していた。しばらくして、スピーカーの製造を始めるようになり、BBC研究所とも親しくなって、BBCモニタースピーカーのライセンスを取得して、アンプの製造はやめて(ジム・ロジャースは会社を去る)スピーカービジネスに特化した。
その後のいきさつがあって、ロジャースはスイストーン(マイケル・オビライエンがオーナー)の会社の傘下になっていた。
そのオーナーが、ロジャースの業績が振るわないので会社を売りに出したところ、香港の商社Wo Kee Hong Groupが1993年、買い取ったのだ。

Wo Kee Hongは以前から、サンスイの香港代理店であり、テスターの三和の代理店でもあった。Wo Kee(和気)はロジャースを買い取ったものの、特に特長もユニークな技術もないので、どうしたものかと悩んでいた。
そこで、Wo Kee(和気)は昔のよしみでサンスイ海外営業部のOBに何とかしてくれと相談してきたのであった。
そのようなとき、海外事業部OB、H.Hさんは、その時はロジャースに加わっても良いような身分であったので、実質、ロジャースの経営を任せて貰うことを条件にロジャースを引き受けようという気持ちになっていた。
会社名もロジャース・インターナショナルとして、香港に本社機能を持たせた。

悩んでいたWo Kee(和気)は、とりあえず、カナダブランドの主宰者は香港出身オーディオ人に相談したところ、アンプをロジャースブランドで創ったらどうかを提案し、さっそく、120W+120Wのステレオプリメインアンプを200台ほど創って、ロジャース・インターナショナルに納入したという。モデル名はRS-4と言うらしい。セパレートアンプ(プリ、パワー)RS―2、RS-6としたという。けれどもそのアンプの評判はぱっとしなかった。

この時点で私はイギリスのロジャースを訪問したのであった。

ロジャース(イギリス)の様子
ロジャースは、ヒースロー空港から車で30分ほど、ウインブルドンにも、BBC技術研究所にも近いという。写真に示すように、会社の建物は古いレンガ造りの2階建てであった。1階は工場、倉庫、試作室で、2階がオフィイスになっていた。予想していたより、小規模であった。
工場を見せて貰うと、ちょうど、20cmポリプロピレン振動板のウーファを製造していた。ボイスコイルは女子工員(おばさん)がアラミド枠にボイスコイルを巻いていた。ポリプロピレン振動板は外注で、それにボイスコイル、ダンパー、エッジを貼り付けて、振動系を作っていた。

でき上がった振動系はマグネット、フレーム(バスケットと言う)に接着して完成であった。ポリプロピレンは表面が非常に円滑(つるつる)なので、接着が困難である。どうやって接着するかを見ていたら、カスタムの接着剤で貼り付けているという。化学的には接着できず、粘着して、接着のかたちをとっているらしい。従って、経年変化によってエッジの剥がれがそれなりに頻発するだろうと感じた。

スピーカーシステムの組立ラインもあって、キャビネット(外注品)にネットワーク(外注品)、ツイータ(外注品)等の部品を取り付けて、完成させていた。この作業は男たちで、階級社会のイギリスらしく、労働者たちは安いTシャツにジーンズ姿であった。(日本のように会社の作業服を着ていない!)

1人しかいないスピーカー・エンジニア、アンディに試作室を見せてくれと頼んで、見せてもらった。10坪ほどの部屋で、簡易無響室らしき部屋は2坪程度、大型システムの測定は無理で、ユニットも特性をチェックする程度であった。あと、試作中のユニットがいろいろあったが、どれも大したものではなかった。
やはり、売れそうな新製品を開発するパワーはどう見ても足りなかった。

2階のオフィイスに経理、総務、資材等の間接部門があった。部屋はそれなりに狭く、人数は10人程度であった。全体を総括していたのは南ア出身のシルビア・ジーダーバークおばさんで、彼女は今回の買収劇には賛同していた。

そんなわけで、ロジャースブランドを何とか継続させて、採算をとることはやさしいことではなかった。だから、前オーナー、マイク・オブライエンは香港資本に売ったのであろう。

シルビアおばさん、アンディたちと話し合ってみると、スピーカーだけでロジャースをやっていくのは困難で、アンプを開発してブランド力を強化しようと言う意見であった。 だから、私のようなアンプ屋にロジャースに加わって欲しいと言うことらしかった。

具体的に“何かプランがあるの?”と聞くと、アンディは“友達が真空管アンプをやっているから、明日、見に行こう!”と言ってきた。
“それは面白そう!”と思い、是非、連れて行って欲しい!と、頼んだ。
初日はこれで終わった。

そうそう、ベテランオーディオファンなら、ロジャースというと、濃いフェイスのロジャース技術部長(リチャード・ロス)が日本のオーディオ誌に紹介されていて、故 瀬川冬樹さんは彼を高く評価していた。
“リチャード・ロス”は元気なのか?“と興味本位でロジャースのベテラン社員に聞いたら、“彼はエイズで死んだ!”と言った。

真空管アンプを開発する話

翌朝、アンディの友達のピーター・クオートロップがいるブライトンに車で出かけることになった。
ブライトンはロンドンから50km程度離れており、ドーバー海峡沿いの避暑地とも言えるゆったりしたところという。
車で牧草地と家畜が放牧されていた丘を何度も超えて、1.5時間ほどでピーターの自宅に着いた。

そもそもこの話は、アンディとピーターはオーディオビジネス仲間として知り合ったらしい。

アンディはスピーカー・エンジニアであったが、真空管アンプが大好きという。
すぐに、中年のおじさんが出てきた。彼がピーターで、あいさつを交わし、名刺を頂いた。それには、“オーディオ・ノートUK”の社長と書いてあった。

すぐに、自分のリスニング・ルームに通された。足を踏み入れると、真空管アンプがたくさんあった。すぐレコードを掛けて、“どうだ!?”という。まろやかなサウンドで嫌味は無かった。

彼が“半導体アンプはサウンドがきつく、嫌いだ!”と言うと、一緒にいたアンディも頷いていた。2~3曲、聴いていて、落ち着いたので、周りを見渡すと、何と、“オーディオ・ノート”の真空管アンプがあるではないか!?

オーディオ・ノートは、故、近藤さんが興したブランドであって、銀線の出力トランスで有名になり、海外でも高い評価という噂は聞いていた。 “ピーターさん、近藤さんとはどういう関係なの?”と聞くと、イギリスでは、俺は“オーディオ・ノートUK”と称して、近藤さんと連携して仕事しているという。“オーディオ・ノート”を世界的ブランドにしたのも俺のおかげさ!”と自信満々であった。

少なくとも、オーディオ・ノートという響きは、外人にとってはとても素敵なネーミングであったらしい。近藤さんは普通のノートブックを意味してネーミングしたと思うが、ノートと言う言葉には、音楽用語で調性(キー)、音階という意味がある。ブルーノートは黒人音楽のジャズ音階を示す。
従って、“オーディオ・ノート”という響きは、とても素敵なセンスに欧米人には感じられるのだ。

置いてあったオーディオ・ノートの300Bシングルアンプは“ONGAKU”とネーミングして、¥1000万で販売しているという。

アンディは、ロジャースは元々、ジム・ロジャースが真空管アンプメーカーとしてスタートしたのだから、久しぶりにアンプを開発、製品化すべきという。けれども、今のロジャースにはアンプ技術や製造機能がないから、ピーターのやっている“オーディオ・ノートUK”を利用したらどうかという。
それは“ロジャースの会社としての方針か?”と問うと、おそらく、この方針は受け入れられると、アンディは言う。

90分くらい、ピーターの家に滞在し、それから、オーディオ・ノートUKの工場に行くことになった。

オーディオ・ノートUKの工場に行ってみる

その工場は、ピーターの自宅から遠くない距離のブライトン工業団地内にあった。その工場は、ほどほどの規模で40人程度の従業員がいた。
少なくとも、ロジャースよりも製造工場らしかった。
その工場はオーディオノートブランドで、ほどほどのレベルの真空管アンプを作っていた。一応、量産ラインになっており、真空管アンプを量産していた。
工場を観てから、アンディ、ピーター、関係者が集まって、さて、どのようなアンプにするかの企画開発ミーティングになった。 私は“真空管アンプならイギリスから海外に輸出できるし、日本マーケットの特質を聞いてもらえるなら、日本国内では、それなりに売れるし、売る努力を惜しまない”と言ってしまった。
 “それは何?”というので、私は、プリメインアンプスタイルが少なくとも日本では売れると主張した。主要販売先は日本としたいということもあって、私の意見が通ってしまった。

帰りの車中で、アンディから、“あなたは、いつロジャースにジョインしてくれるのか?”と迫られた。私は行きがかり上もあったし、このあたりで、この海外ブランドに携わってみよう!と思った。但し、その期間は長くはないか!とは感じていた。

私からは“ピーターとは何者?”とアンディに質問すると、“彼はユダヤ人で、デンマークでオーディオビジネスをやっていたが、うまくいかず、イギリスに来て、日本のオーディオ・ノートと組んで、ビジネスするようになって、それなりにうまくいくようになった!”と言っていた。 “ピーターに真空管アンプの開発、OEMを任せて大丈夫?”と尋ねたら、“それは、あなたが加わって、一緒に頑張れば何とかなるだろう!”言われてしまった。

イギリスには、4日間滞在して、5月6日の早朝、成田に着き、途中、自分の家に寄って旅行バッグを置いて、その足で我々の会社に出勤した。

つたない文章をお読みくださってありがとうございます。さらに、ロジャース・インターナショナル・JAPANが設立され、活動がさらにホットになります。まだ、続きます。


アンディ・ウイットル氏
ロジャース主任エンジニア(当時)のアンディ・ウイットル氏

ロジャース(イギリス)の建物
ロジャース(イギリス)の建物(当時)


2014年7月16日掲載


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