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イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第71回 サンスイの最後に少しは花を添えられた! 後編

具体化する活動
スペンドールスピーカBC-IIの復刻

最近、BBCモニタースピーカからスタートしたスペンドールブランドが、サンスイと同じ、香港資本“グランデ”の傘下になったと言う。必然的に日本販売代理権はサンスイになった。それまでは、今井商事(株)が小規模ながら、長期にわたって、日本で大事に販売してきた。
この事態はビジネスの非情さだ。強制的に今井商事はスペンドールを取り扱うことはできなくなった。
当時のスペンドールスピーカはロジャースと似たような状況になり、海外、とりわけ、香港資本に買収されていた。スピーカ技術的には、BBCモニタースピーカの域から抜け出ていなかった。特に、後発のB&Wに比べると、その遅れは目立った。

この原因はロジャースやスペンドールには、技術的に引っ張る人材、資金が不足していたからである。同じBBCモニターでも、KEFはクック氏が頑張っていて、クック氏亡き後もスピーカ技術開発がすすめられていた。

急に、スペンドールを取り扱うことになったサンスイ営業スタッフは、スペンドールを聴いたことも、スペンドールを見たこともない方が大多数であった。

どうすべきかのミーティングに私が加わるかっこうになった。私は、スペンドールのBBCモニターとして、評価が高いBC-IIを中古品で持っていたので、このスピーカの引き締まったサウンドは好ましく感じていた。
そして、現行のスペンドールをその場で聴かせて貰ったが、穏やかで、辛口に言えば、緩いサウンドだった。サンスイの営業スタッフの方々に、BC-IIについて私が話したところで、内容が伝わらない。そこで、私はクルマでBC-IIを家から運んで、皆さんに視聴してもらった。みなさんはそれなりに感じたようだが、特に、感激した様子はなかった。それは、かつて、JBLスピーカを売っていたセールスの方々にすれば、BC-IIは大したものはないと感じただろうし、ヨーロッパサウンドについての理解も無さそうだった。

BC-II内部を開けて見せた。構成は、ウーファ+ツイータ+スーパーツイータの変則3WAY構成で、ウーファのマグネットは異常に大きかった。
20cm口径のコーン紙は、KEFに似たベクストレンのような樹脂コーティングがしてあった。バスレフダクトはなく、円形穴のみであった。ツイータはセレッションHF1300(ソフトドーム)、スーパーツイータはSTC4001G(マイラーフィルム振動板)を採用していた。
キャビネット板厚は厚くはないが北欧材を採用して、がっちりしていた。発売当時(1975年)の評論家さんたちの評価は、特に、瀬川氏,菅野氏,井上氏が高かった。

ともかく、“有力販売店に、スペンドールに何を期待するかを聴いてみたら!”ということになって、やがて、コメントが寄せられてきた。圧倒的に“BC-IIか、そのコンセプトに沿った製品が欲しい!”と言うことだった。

サンスイサイドからスペンドールに“BC-IIを復刻出来ないか?”とメールで問い合わせてみた。その返事は、彼等にしてみたら意外だったのだろう。戸惑った返信であった。彼等にしてみれば、過去から進歩していないばかりか、現行スピーカが評価されていないと受け取ったようだった。“手持ち材料を調べてみた。BC-II用のウーファフレームが150本在庫している。ツイータ,スーパーツイータは仕入れることは可能、キャビネットも製作可能。”という内容であった。
それでは75セットを限定販売と言うかたちで作って貰って、とりあえずの話題を造ろうと私は主張した。みなさんも同意してくれた。そこで、サンスイの総意として、75セットのBC-IIの注文がスペンドールになされた。

先に確認用サンプルが東京事務所に届けられた。さっそく聴いてみると、オリジナルBC-IIに比べると、そのサウンドは少しやさしかった。厳しく言えば、“きりりと締まったサウンド”が少し不足していた。

サンプルを聴き終わったあと、内部チェックしてみた。おおむね、BC-IIを踏襲していたが、いちばん重要なウーファのマグネットがオリジナルより1ランク小型であった。これが引き締まったサウンドを100%再現出来ない原因のようだった。スペンドールに聞いてみると、“都合で、マグネットはこれで勘弁してほしい!”とのことだった。それに、もう75セット分は製造しているとのことだった。
それでは、何とか、この復刻品を販売して行こうと言うことになった。

幸い、1975年当時の製品を持っている販売店は全くなく、クレームらしきコメントはなく、大筋において、好評。あっという間に75セットは売り切れた。“さらに作って欲しい!”という声もあったが、スペンドールは“これでおしまい!”と言うばかりであった。確かに、昔の製品を高く評価して、現行製品について特にコメントがないのは、彼らにしてみれば、愉快なことではなかっただろう。
また、経営的には、香港資本がサポートしてくれているとしても、スペンドールは赤字体質であった。
それから、年月を経た現時点(2015年)においても、残念ながら、スペンドールは、B&WやKEFスピーカに比べ、スピーカ技術的にはかなわない状況である。
ただ、ロジャースよりも日本の代理店がしっかりしているので、販売継続はできそうだ。

AU-111の復刻

スペンドールがひとまず落ち着いたので、次の製品化アイディアを具体化するべく、活動をスタートした。私はサンスイの有力営業スタッフMさん達に、真空管プリメインアンプ、あのAU-111を復刻しようと説得を始めた。

Mさん達は、“今更、古い、古い真空管アンプを造ってもどうかな?”と懐疑的であった。それでも、誠実なMさんはAU-111オリジナルを借りてきて、関係者で視聴した。
私の印象は悪くはなかったが、使ったスピーカがB&W 805だったので、そのサウンドはやや重く、そして、少しきつかった。

この状況では、ことが進まない!と考え、私自身が動き出すことにした。まず、AU-111のパワーアンプ部を、パワーアンプとして試作することとして、シャーシ設計を始めた。知り合いのシャーシ屋さんに特急でシャーシを造って貰った。そして、トランス類は橋本電気に聞いたところ、AU-111用出力トランスの巻線設計資料もあるし、造れるという返事を頂いた。また、電源トランスも出来ると言われた。折角であるから、オリジナルは100V~240V対応していたが、100V専用にして貰って、1台分のトランス試作を橋本電気に注文した。しばらくして、トランスが到着、私は東京事務所でせっせと作り始めた。1週間ほどで完成した。Mさん達に視聴してもらった。評価は良かったが、Mさん達は、はたして、営業的にうまく売れるだろうかと心配しているようだった。

それでは、外部に情報を漏らして、評判を聞こうとして、懇意にしている“ラジオ技術”編集部のHさんにお話ししたところ、“それは面白い!製作記事として、載せましょう!”と言ってくれた。製作記事は私がペンネームで書いた。
ラジオ技術は当時、まあまあの発行部数で、クラフトオーディオ界ではそれなりの影響力があった。ラジオ技術記事が発表されて、それなりの製品化期待の評判があった。

そして、サンスイ郡山工場のNさん(サンスイで影響力あった)から、“是非、造ろう!”、“俺がかなりのAU-111の生産資料を持っているし、真空管アンプは好きだから、生産の段取り、製造指導もやってやる!”と言ってくれた、それに、Nさんは技術部長に“やってみましょうよ!”と強く進言してくれた。
また、名機構設計者のS・Yさんは“シャーシ材質はスレンレスで作れるよ!”とも進言してくれた。あのブラックフェイスのフロントパネル、つまみ、なども心配なく作れると断言した。
そこで、新製品としての原価計算をしようと、話が動き出した。そこで、問題になったのは真空管、ソケットの入手であった。

1997年、B-209真空管アンプを200台、アメリカで本体を作らせて、日本でフロントパネルとボンネットを付けて、製品化した実績はあったが、真空管関係部品の仕入には経験がなかった。

このままでは進行しないので、イシノラボ/マスターズの独自ルートで、アメリカに問い合わせたところ、関連部品が入手できると言ってきた。しかし、6AQ8は大量に入手出来ないということだった。ちょうど、そのころ、松下真空管を、ある筋から販売店に大量に譲ると言う話があって、イシノラボ経由である程度数量を獲得した。
12BH7はEi(東ヨーロッパ)、12AX7はPhilips-ECG(シルバニア製)を入手できた。肝心な6L6GCは、SOVTEKブランドの6L6GCは6L6GTと同じもので、スクリーン耐圧も弱く、プレート損失も不充分であった。
私はそうだろうと思って、製作記事ではSvetlanaの6L6GCを採用していた。
6L6GCは、いろいろテストしてみたが、けっこう無理が効くし、サウンドも良好で、Svetlanaを入手することにした。真空管ソケット入手は中国→NY→JAPANと、L社製品化での材料手配ルートが生きた。
結論として、真空管、真空管ソケットの仕入は“イシノラボ/マスターズ”がおこなうことになった。

段々とAU-111は復刻出来るという確信を持ってきた。
やがて、E・K社長を交えて、企画会議が開かれ、AU-111の復刻はとりあえず200台となった。社長から、“定価はいくらにしたら?”と質問された。私は即座に¥44万(税抜)と答えた。ついでに、モデル名は“AU-111Vintage”が良いと進言した。
これで発売が決定した。

私は、プリント基板で真空管アンプが造られるのは、あのL社でもプリント基板で作ることになった経緯があるので、仕方ないと覚悟していた。
ところが、Nさんは“復刻AU-111Vintageはオリジナルと同じ手配線で作るし、造れる!”と自信を持って言った。
Nさんの知識,知恵,統率力はすばらしく、名機構設計者のS・Yさんはシャーシをステンレス材で設計し、そして、機構製造会社を走り回って、材料手配を手伝ってくれた。

思っていたより早く、1999年に発売にこぎつけた。

サンプルを先だって視聴したが、外観、内部手配線の見事さは素晴らしく、“これぞ!サンスイの底力!”と私は勝手に感激していた。AU-111Vintageは、ブラックパネル、優美なつまみ、ステンレスシャーシ、と光り輝いていた。

そうそう、フォノイコライザはY・Mさんが真空管回路で設計してくれた(オリジナルはトランジスタ・真空管ハイブリッド回路)。アナログレコード再生サウンドも素敵であった。

販売店の評判はすばらしく、あっという間に200台、売り切れた。

オーディオ界の成熟化が進んだ状況下では、画期的な新技術か、そうでなければ、遺産(LEGACY)を売り物にするのがビジネス的には意味があるだろうと考えたのが、幸いにも当たったようだ。

一時、画期的新技術と言われた“Dクラスアンプ”も実際の開発,設計に携わってみると、最高級を目指すなら、やはりアナログオーディオアンプにはかなわないことは(省エネ、小型、ハイパワーは別として)このあと(第72回以降で執筆予定です)私は思い知ることになった。

サンスイは好評に気をよくして、翌年、追加100台(これはつまみがゴールド仕上げ)が生産された。(AU-111VintageGold:¥48万)
残念ながら、これらの復刻ビジネスは一時的に盛り上がったが、サンスイ電気の継続は困難と思えた。

サンスイの終焉

こうして、ばたばたしているうちに1年が過ぎた。

技術部長やE・K社長に契約継続について問い合わせると、経営の厳しそうな様子がうかがえた。
そこで、“それでは、次の契約は半年にしましょう!”と言い出したら、納得してくれた。

次の私のターゲットは、サンスイを辞して以来、20年以上ずっと採用され続けているXバランス回路のインプルーブであった。

Xバランス回路は、初段が差動FET入力、次段がダイアモンド差動回路、3段目が差動プッシュプル回路と3段構成になっていた。もっとも、差動プッシュプル回路はバランス増幅のため、HOT側,COLD側と2組搭載されている。

Xバランス回路をさらに改善するとすれば、初段をダイアモンド差動回路として、2組の差動出力をバランス増幅段に付加しておけば、少なくとも、従来のXバランス回路より、DCドリフトのふらつき(年月を経ると、この種の不具合が出ているが、修理、調整すれば復帰する。)は少なくなり、DC安定度が改善されるXバランス回路が造れるはず。
このアイディアは検討を続けて、後年、マスターズのZバランス増幅回路となっていった。

以上のようなアイディアを、技術部長やE・K社長に進言したが、実際、彼らにとって、それどころではないという状況だったようだ。と言うのも、赤字経営が続行して、改善のめどが立たないかと、香港グランデの会長から、厳しく要請されていたようだ。
生産工場(郡山),営業,サービス,技術,総務,経理,コンピュータ管理等々の人員を抱えては、それは困難なことであった。

3か月経過した頃になって、東京事務所に行ってみると、O・Iさんに、“来月、東京事務所はクローズになる。自分も辞めるつもり”と言われた。勿論、Y・Mさんもそうすると言う。“それはここだけなの?”と聞くと、もう、サンスイの日本国内ビジネス継続は終了ということであった。
そのあとは、東京事務所の片づけを手伝って、私の役割は終わった。

ほどなくして、郡山工場のNさんから、“工場もクローズするから、時間取れるなら見納めて欲しいから、来ないか!”と言われた。
しばらくして、私は妻を連れて、自分のクルマで郡山工場に出向いた。 Nさんは、人っ子ひとりいない工場内を見せてくれた。コンベアラインは外され、設備も外され、床には大量の金型が置いてあった。これらは鉄屑になるだけであった。
“捨ててしまうから、少しは持って行ってくれないか”と言われて、測定治具を車に積んだ。戻って、欲しい仲間に分けてあげた。
クルマのバックミラーから、サンスイ郡山工場が遠ざかり、涙で視界が曇ってきた。

その後、サンスイは株式上場を継続するため、渋谷に少人数(2人)だけの事務所が出来た。サンスイの社長はナカミチ(株)社長を兼務していた中道武氏が就任した。中道氏に後日、TELしてみたが、整理で多忙な様子であった。

その後、グランデはサンスイブランドを使って、中国で電化製品を生産、販売していたが、グランデの経営が厳しくなり、サンスイ電気は2012年民事再生法を申請し、上場廃止、ついに2014年7月、破産となった。

これで本当にサンスイは無くなった。但し、サンスイブランド使用権は関西のドウシシャが取得している。

今回は悲しい結末でしたが、お読みくださりありがとうございます。次からは、何と私がDクラスアンプの開発設計に関わります!


SANSUI AU-111Vintage
SANSUI AU-111Vintage
200台生産。¥440,000。

SANSUI AU-111VintageGold
SANSUI AU-111VintageGold
100台生産。¥480,000。

上記の写真は、AU-607.comさんに特別に掲載許可をいただいてご提供いただいたものです。

スペンドール社にBC-II復刻を要請したメールの一部
スペンドール社にBC-II復刻を要請したメールの一部。


2015年 4月26日掲載


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